小説『君の膵臓をたべたい』を読んで印象に残った言葉

『君の膵臓をたべたい』にでてくる印象的な言葉を知りたい。

という方に向けて書いています。

皆さん『君の膵臓をたべたい』という作品を知っていますか。

『君の膵臓をたべたい』は、「生きる」ってどういうことなのかを教えてくれる作品です。

この本を読んで、「生きる」とはどういうことか、考え方が変わった気がします。

この記事は、『君の膵臓をたべたい』を読んで、印象に残った言葉4つと感じたことを書いています。

『君の膵臓をたべたい』-印象に残った言葉4選

印象に残った言葉①

「一日の価値は全部一緒なんだから、何をしたのかの差なんかで私の今日の価値は変わらない。私は今日、楽しかったよ。」 

『君の膵臓をたべたい』14ページ(文庫本)より引用

これは主人公の「僕」が桜良に「残りの余命を図書館の片付けに使っていいの?」という質問をしたときの、桜良の答えです。

結末を知っているからこそ、印象に残る言葉でした。

大体の人は、余命を宣告されると、一日一日をとても大事に生きようと思います。

でも余命宣告って、あとどれくらいで人生が終わるのかを事前に教えられているだけで、その前に終わってしまうこともあるんですよね。

また、余命宣告されている人に限らず、どんな人でも終わりは必ず来ます。

わたしだって、今ブログを読んでいるあなただって同じです。

やりたいことをやる前に、自然災害が起こって巻き込まれたり、事故に遭うかもしれません。

そう考えると、余命宣告を受けている桜良も、わたしたちの一日の価値も同じです。

だからこそ、今日という一日をどれだけ楽しく生きられるかが大事なんだと思いました。

わたしは普段と同じように過ごすことが、楽しく生きられるコツなのかなと思います。

生きることを前向きにさせてくれる言葉でしたね。

印象に残った言葉②

「生きるってのはね きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」

『君の膵臓をたべたい』222ページ(文庫本)より引用

桜良が言った言葉です。

当たり前の事ですが、忘れていたような気がします。

人は誰かがいて、初めて自分を認識することができます。

たぶんですが、この世界に自分一人が取り残されたとしたら、生きている実感って湧きません。

なぜなら、触れたり、話してくれる人がいないから。

誰かと話したり、手をつないだりすることで、自分を認識できます。

そう考えると、誰かと一緒にいるって当たり前のことですが、生きていく上では欠かせない事なのかもしれません。

だからこそ、人との交流は大切なことで、その時々を大事にしていこうと思いました。

印象に残った言葉③

「君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私たちを会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」

『君の膵臓をたべたい』197ページ(文庫本)より引用

深い言葉だと思います。

出会いを偶然ではなくて、自分が選んだ必然だと考える。

私たちも普段から選択をしています。

部活、進路、就職など、人生のステージが変わるような選択から、ご飯を食べる、遊びに行く、学校へ登校するなど日常の小さいことまで。

いろいろな選択の積み重ねて、私たちはここにいます。

今の自分があるのは、過去の自分がその時々で選択をしてきたから。

色々な選択があったと思います。

人によっては、選択した結果が幸せや後悔につながったこともあったかもしれません。

でもそれは、過去の自分が最善だと思える選択をしてきたから。

なので、たぶん大事なことは自分の選択に素直になれるのか、その選択をして本当に満足なのか。

考えに考え抜いて、それを選択として表現することが大事なのかなと思います。

大きな選択も何気ない選択も、すべてがつながっていると気付かされた言葉でした。

印象に残った言葉④

『君の膵臓を食べたい』

『君の膵臓をたべたい』253ページ、293ページ(文庫本)より引用

桜良と「僕」が、お互いを思って綴った言葉ですね。

人とのかかわりを拒み小説の世界に没頭する「僕」と、人とつながろうとする桜良。

正反対とも言える二人が、ここまでお互いに惹かれて必要だと感じていたということに感動します。

この作品にピッタリな言葉だと思います。

『君の膵臓をたべたい』-印象に残った言葉4選:まとめ

今回は『君の膵臓をたべたい』を読んで印象的だった言葉を4つ紹介しました。

わたしが特に気に入っている言葉は、③ですね。

他にも『君の膵臓をたべたい』には色んな名言ともいえる言葉が出てきます。

ぜひ、手に取って読んでみてくださいね。

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