「進撃の巨人」が伝えたいことを考えてみた

こんにちは。

完結編の劇場版公開も決まった「進撃の巨人」。

この記事では、物語の展開やキャラクターの特徴、行動から「進撃の巨人」が伝えたいことについて考えています。

個人的な解釈であることを前提に楽しんでいただけると幸いです。

それではいきましょう。

「進撃の巨人」が伝えたいこと

ありふれたことが小さな幸せであること

まず、「ありふれたことが小さな幸せであること」ということを伝えたいのかなと思いました。

そう思った理由は2つです。

1つは道でのアルミンとジークの会話。

「案外…事切れる前はほっとするのかもな…」
「何の意味があるのかもわからず…ただ増えるためだけに…踊らされる日々を終えて…」
「これで自由になったって…」

進撃の巨人:ジーク・イェーガーより

この言葉は、生きることに対してただ増えるだけで意味はないと言っているように思います。

そんなジークの言葉に対してアルミンはこう返しました。

「僕はここで 三人でかけっこするために 生まれてきたんじゃないかって…」
「雨の日家の中で本を読んでいる時も リスが僕のあげた木の実を食べた時も みんなで市場を歩いた時も …そう思った」

「進撃の巨人」:アルミン・アルレルトより

そのときアルミンが持っていたのは枯れ葉で、ジークからは野球ボールに見えています。

「何の意味もない…でも…確かに…」
「俺は…ずっとキャッチボールしてるだけでよかったよ」

「進撃の巨人」:ジークイェーガーより

増えるために必要のないもので、ありふれたなんてことないものだけど、実は幸せな時間。

ジークもリヴァイに殺される前、

「…いい天気じゃないか …もっと早くそう思っていたら…」

「進撃の巨人」:ジーク・イェーガーより

今までありふれた小さな幸せを感じられず、後悔しているようでした。

これらのセリフは「人生においてありふれたものこそが、幸せなのではないか」と言っているように思います。

そして2つ目は、道でのエレンとアルミンの会話です。

エレンは初めてアルミンの持っている貝殻を認識しました。

「やっと気づいてくれたのか… いつでも足元にあったのに… いつも遠くばかり見てるから」

進撃の巨人:「アルミン・アルレルト」より

初めて海を見た時、エレンの頭にあったのは海の向こうの敵への殺意ばかりで、ありふれた貝殻に見向きもしませんでした。

エレンにとっての自由とは何者にも邪魔されない、何の制限もない世界。

自由を選んだのは彼の意志ですが、同時に自由の奴隷へとならざるを得ません。

それゆえ自由を見てしまったエレンが足元を見ることはありませんでした。

エレンのすぐ近くにいたのは、ミカサやアルミンたちです。

エレンが貝殻を認識できたことは、ミカサやアルミンたちと一緒にいることはありふれた小さな幸せだけど、それでもいいんじゃないかと思えた瞬間なのではと考えています。

生きているとありふれた幸せを忘れて、人生に意味を求めてしまいがちです。

ですが、そうではなくて「人生に意味なんて考えなくていいし特別なことなんかしなくていい、ありふれた意味のないことをやっていい。それも幸せの1つ」と伝えているように思います。

盲目的に信じる危うさと信念を曲げる強さ

2つ目は「盲目的に信じる危うさと信念を曲げる強さ」についてです。

考えを盲目的に信じることですが、すなわちその人が考える「正義」とも捉えることが出来ます。

ガビの例が分かりやすいです。

パラディ島のエルディア人たちは悪魔と教え込まれ、パラディ島に強い敵意を持っていました。

「あんたらの先祖が色んな人たちを苦しませた」、「そんな先祖たちは悪魔で子孫であるお前らも悪魔なんだから報いを受けるべきだ」、「そして私がお前らに復讐をすれば、色んな人に褒めてもらえる」

褒めてあげるという子供にとって絶対的な正しさを与えることによって、極端な思考はその子の中でより大きく育ちます。

ガビはライナーから島での生活を聞いても、パラディ島の人々への認識を改める素振りも見せませんでした。

しかし、カヤとニコロたちとの出会いでガビの考えに変化が訪れます。

大事な人を奪われて、相手の大事な人を奪ってを繰り返していることに気付いたのです。

つまり、復讐の連鎖の中にいるということ。

そして、壁の中にいたのは悪魔ではなく人だったことを悟ります。

悪魔なんていなかった…この島には…人がいるだけ

「進撃の巨人」:カビ・ブラウンより

そうして、森の中で言い合いをしている大人たちを相手に助けを求めます。

すごく…図々しいことはわかってますが…
皆さんの助けが必要です…
どうか…私達に力を貸して下さい!

「進撃の巨人」:カビ・ブラウンより

「お前らの自己責任だろ」と言われるかもしれないのに、土下座をしてすべてを隠さず伝えました。

ガビが森を出ようとしているのが分かるセリフです。

これって誰にでも出来ることじゃないですよね。

あのマーレ訓練兵時代のガビを知っているからこそ驚く変化でした。

このように、ガビを通してマーレ思想を盲目的に信じていた頃から、助けを求める様子描いていることから、「盲目的に信じる危うさとその信念を曲げる強さ」を伝えたいのだと考えています。

この先を決めるのは君たち

3つ目は「この先を決めるのは君たち」ということを伝えたいのかなと思いました。

進撃の巨人のラストは、エレンが埋められている巨大樹の中に少年と犬が入ろうとするところで終わりました。

このシーンですが、私は見た人の分だけ答えが変わってくるのかなと考えています。

例えば、「始祖ユミルと同じように再び巨人の歴史をつくってしまう」と解釈する人もいれば、「歴史を繰り返すことなく違う歴史をつくっていく」と考察する人もいるはず。

私は後者の考え派です。

また、「大樹に入ろうとする少年=進撃の巨人を見る私たち」と置き換えてみると、よりメッセージ性が強くなるかもしれません。

先の展開がどちらとも取れる描き方をしているからこそ、作者から「この先を決めるのは今を生きる君たちなんだ」というメッセージが伝わってきます。

サシャ父のセリフを借りるとするならば「森を出られるかどうか」、そんなことを問われているのかもしれません。

このように、先の分からないラストかつ、少年を私たちに置き換えることで「この先を決めるのは君たち」ということを伝えたいのかなと思いました。

まとめ

この記事では「進撃の巨人」が伝えたいことについて、私なりに考えたことを書きました。

進撃の巨人は、巨人との戦いから愛という壮大なテーマまでを描いた超大作のダークファンタジー漫画です。

ぜひ皆さんも「進撃の巨人」からのメッセージを受け取ってみてくださいね。

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