こんにちは。
2025年冬アニメ「Bang Dream! Ave Mujica」が1話時点ですでに面白すぎるので、その魅力やオブリビオニスの「忘却」について考察を書いていきます。
※先行上映で3話まで見ております。この記事では3話までのネタバレも含まれていますので読む際は注意してください。
個人の解釈であることを前提に読んでいただけると幸いです。
それではいきましょう。
Ave Mujicaの面白さ
救いのなさそうな怖いOP
進撃の巨人の「俺たちはどうすれば報われるんだ」状態です。
何をしたら5人は報われるのでしょうか。
そして狂気的な笑顔を浮かべる睦ちゃん。
普段の儚げな透明感が見え隠れする間もありません。
このOPだけで壊れていることが分かります。
MyGOとは何もかもが対照的です。
今考えると、MyGOのOPはメンバー全員が楽しそうに演奏しているので、ギスギスしてもいずれはこうなるんだろうなという安心感がありました。
歌詞からも哀しみを忘れずに進んでいきたいという、燈の肯定的な気持ちが分かります。
反対にAve Mujicaはバトルアニメ?くらいに禍々しい映像がこれでもかというほど垂れ流されました。
たぶんOPの時点でここまで禍々しいのは、バンドリ作品外でもなかなか無いと思います。
OPの時点から怖さとゾワゾワレベルMAXなのです。
また映像について、彼女たちが演奏する姿は心の内面を全てさらけ出せるようになったハッピーエンドの姿なのでしょうか。
怖さだけでなく考察もしたくなるようなOPとなっています。
先が気になりすぎる展開
本作の中核である仮面を外す行為は、中盤や最終話に向けての展開だと思うんですよ。
それを1話目から持ってくるのが衝撃的すぎました。
また、祥子がCRYCHICを辞めた真相、彼女を通して中学生では生きていけない厳しい現実や家庭環境の生々しさが描かれます。
展開が衝撃的ありながらトントンと場面が進むので、見ていて飽きることはないはずです。
私は先行上映で3話まで見ていますが、本当に先が気になっています。
特に2話目を映画館で見た時「先行上映に来てよかった…」と思いました。
あの終わり方で1週間待つとか、なぶり殺しにされるようなものです。
とはいえ3話以降も気になるので、実質約3週間は生殺しにされています。
ハマってしまうAve Mujicaの世界観
MyGOでAve Mujicaを見た時は正直そこまでハマらなかったです。
なんでだろうな~と考えた時、MyGOと違って何もかもが完成されていたから。
MyGOで見ていたのは、メンバー同士のいざこざを乗り越え作り上げていくバンド活動です。
10話の詩超絆はMyGOを象徴する神回であり、そこに至るまでの苦悩のかけらを拾い集めステージに立つ彼女たちからはカタルシスすら感じます。
あと全体通して燈の世界から感じ取れる優しい歌詞と疾走感ある煌めくメロディ、燈役の羊宮さんの優しく捻りだすような歌声が好きです。
そんなMyGOの世界観が大好きだったからこそ、Ave Mujicaに対してはそこまで思い入れもありませんでした。
しかし、本作が始まってからAve Mujicaの好感度は一転しました。
描かれているのは成長ではなく、完成された世界で変化していく5人の姿。(だと思っています)
完成されているからこそ、壊れたら終わりの世界観。
幸福か破滅かの瀬戸際を描いており、MyGOとは違った危うさが1話から垣間見えるため、引き込まれてしまいます。
また、劇中歌やOP、ED(終盤の盛り上がりがすごい)のヘヴィメタルを基とした音楽によってさらに物語に没入でき、クセが強いながらも歌から分かる緻密に作り上げられた世界観に圧倒されました。
ヘヴィメタル特有の音の厚みが祥子たち活動実態を表現しているようで、いつの間にか虜になっていました。
全身に畳みかけてくるようなメロディと、ドロリス役の佐々木さんのかっこよさ溢れるクールビューティな歌声が好きです。
【考察】オブリビオニスの「忘却」とは -Ave Mujicaの忘却-
最後に簡単な考察です。
絶対になってほしくない展開が浮かんでしまいました。
3話までのネタバレ含みます。ご注意ください。
祥子の仮面、オブリビオニスの意味は「忘却」です。
MyGOで祥子が初華に言った「全部…忘れさせて」という言葉。
自分に「オブリビオニス」という名前を付けたのも、忘れられないからだと分かります。
私は「忘却」が祥子の想いにかかっていると思っていました。
ここから下が過激な妄想になります。
Ave Mujicaは仮面が外したことでメディアの注目度はさらに高まり露出の機会が増えました。
それによって睦の精神は崩壊寸前になり、ライブ途中で倒れるハプニングが起こりますが、祥子のアドリブによってパフォーマンスに昇華させ事なきを得ます。
ただ同時に、観客やメディアが求めているものは睦の超パフォーマンスであり、AveMujicaの演奏や世界観は二の次でした。
「素顔の公表」という、祥子の考えるとっておきの場面で出したかった切り札はとっくに切られた状態です。
今はまだ祥子のアドリブによって繋ぎ止められていますが、メンバーの強力過ぎる才能と内なるエゴ、恐ろしい世間の流行の波という壁をAve Mujicaは乗り越えられるでしょうか。
祥子は「一時の流行で終わらせる気はない」という発言をしていますが、これはプロ活動が水物だということを分かっていての発言だと思われます。
だからこそ世界観と音楽を売り込むことで、Ave Mujjicaの立場を確立させたい思惑が伝わります。
しかし、にゃむが言った世間の飽き。
そして「人形にとっての死は忘却」。
すでにメディアからは祥子の考えるAve Mujica像は飽きられてきている描写が見られます。(厳密には睦のパフォーマンスが見たい)
いま彼女をつなぎとめているのは「Ave Mujica」ですが、それすらも世間から忘れられてしまったら、、、
人形にとって忘れ去られてしまうこと=死
母親、CRYCHIC、父親、令嬢の身分を失ってきた祥子。
「忘却」がバンドによって今までの記憶を忘れられるのではなく、祥子の全てであるAve Mujicaが世間から忘れさられてしまうということだとしたら。。
というかなり妄想強めの考察?でした。
まとめ
今回はAve Mujicaの面白さとオブリビオニスの「忘却」について考察しました。
MyGOに引き続き暗い展開が続きそうな本作。
心が抉られそうな作品ですが彼女たちがどうなるのか、最後まで見届けようと思います。
皆さんもぜひ見てくださいね。
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