こんにちは。
2024年の5月10日に公開の映画「トラぺジウム」。
この記事では、「著者本人の伝えたいこと」、「原作小説を読んで私なりに考えた伝えたいこと」「映画を見た感想」について書いています。
あくまで個人的な解釈となる部分が多いので、「こんな考えがあるよね」くらいで読んでもらえると嬉しいです。
ネタバレありです。嫌だという方はブラウザバックをよろしくお願いします。
それではいきましょう。
小説「トラぺジウム」が伝えたいこと
著者・高山一美さんが伝えたいこと
原作者の高山一美が伝えたいことは
「夢を叶える過程とプロセスは素晴らしい」
ということ。
高山一美さんが実際にアイドルになった時、アイドルを目指していた過去の自分が輝いて見えたそうです。
そして同時に、夢を叶えられなくても夢を追いかける姿が美しいとも語っています。
以下、回答全文です。
「夢を叶える過程、プロセスは素晴らしいんだっていうことを伝えたいとずっと思っていました。私自身、アイドルになりたいという夢を持っていたんですけど、アイドルになってみると(その夢を追いかけていた)高校時代の自分がすごく輝いて見えたんです。もしかしたら夢を叶えられないこともあるかもしれない。それでも夢に向かう姿ってすごく美しいなって思ったんです」
「夢を叶える過程の素晴らしさを伝えたかった」乃木坂46高山一実が小説『トラペジウム』に込めた思い | ENTAME next – アイドル情報総合ニュースサイト
小説でも、最後にシンジが主人公の東に送った言葉は
「初めて見た時から、光っていました」
小説「トラぺジウム」:工藤真司
でした。
高校生の頃から夢を叶えようとする東の姿は、シンジからは輝いて見えていたということですね。
読んで感じた伝えたいこと
ここからは私なりに考えたことを書いています。
改めて個人の解釈となるのでご注意ください。
目指す世界はすべてが輝いているとは限らない
「目指す世界がすべて輝いているとは限らない」というメッセージが込められているのかなと思いました。
例えば、東たちが担当する番組のエンディング曲「方位自身」をライブ形式で流す時、東以外が口パクを指示されます。
そのとき、東は口パクに対して反論をしましたよね。
「歌を届ける、ダンスで魅せる、それがアイドルじゃないんですか?」
小説「トラぺジウム」:東ゆう
その反論に対して大人たちが見せたのは、ただ嫌な顔だけでした。
(小説の著者は元乃木坂46の方で、執筆時はアイドルとして大活躍していた頃ですから、なおさらこういった出来事に説得力が生まれますね。)
夢見ていた景色ばかりではなく、当事者になってみるとそれ相応の現実も見えてしまうし、受け入れなければいけないことばかり。
本作ではアイドルという形でその現実が表現されていましたが、どんなことにも通ずるものだと思います。
表のキラキラしている部分だけでなく、裏の汚い世界も見えてしまう。
夢を叶えた少女がそんな現実にぶつかっていることから、「目指す世界はすべてが輝いているとは限らない」ということを伝えたいのかなと思いました。
知らない内に誰かのアイドルになっていることもある
次に「自分の知らないところで誰かのアイドルになっている」ということを伝えたいのかなと。
東は小学生の頃、美嘉と同じクラスでしたが、美嘉はクラスメイトや担任から無視されていました。
そんな境遇にいた美嘉は、分け隔てなく接ししてくれた東のファンだったと伝えます。
「私はね、東ちゃんのファン1号だったんだよ」
小説「トラぺジウム」:亀井美嘉
東本人はこのことを知りませんでした。
つまり、知らないところで美嘉のアイドルになっていたということ。
だからこそ、「自分の知らないところで誰かのアイドルになっている可能性もある」ということを東を通して伝えたいのだと思いました。
夢に向かう姿は美しい
最後に原作者さんと一部重なりますが、「夢に向かう姿は美しい」というメッセージを伝えたいのかなと。
私は東に対して、夢への憧れが強すぎるゆえのアンバランスさがあると思いました。
なんというか、アイドルを神格化しすぎているというのでしょうか。
「アイドルはたくさんの人を笑顔にできる」という考えは間違っていないと思います。
しかし、かわいい子の誰もがアイドルをやりたいという発想に頷ける人はどれだけいるのでしょうか。
それでも東は、憶測の考えで周りを巻き込んでいきますよね。
結果、アイドルという称号は簡単に東の元から離れてしまいます。
夢のために色んな事を踏み越えて進もうとする東の姿は、メンバーの美嘉から「怖いよ」と言われるほどでした。
とはいえ、そのアンバランスさは裏を返せばそれだけ夢に向かって真っ直ぐに走ることが出来る熱量ということにもなります。
その熱量こそが、夢に向かう人に光や美しさを与えている。
だからこそ、真っ直ぐに突き抜け夢を追う人間は輝いて見えるのかなと。
最後のシーンでもシンジは東へ「初めて見た時から、光っていた」という言葉を送っています。
このことから、「夢に向かう姿は美しい」というメッセージを伝えたいのかなと思いました。
映画「トラぺジウム」を見た感想
ネタバレありなので、まだ鑑賞していない方は鑑賞してから読んでもらえればなと思っています。
東が原作以上に怖かった
主人公・東の狂信ぶりが演技や作画、セリフやBGMで表現されていました。
まず、美嘉に彼氏がいると発覚した時、東にセリフが追加されていましたがとても怖かったです。
原作では「最悪」の一言だけで終わるのですが、映画ではさらに追い打ちをかけていました。
セリフのすべては覚えていないのですが、「彼氏がいるなら美嘉ちゃんと友達にならなければ良かった」というような言葉まで言っています。(ちょっと違っているかもしれません、ごめんなさい)
計画通りに行かないことによって、打算的に賢く考える東からは想像できないほど、抱える苛立ちが前面にさらけ出される形となっていて、原作以上の怖さや不穏感がありました。
次にくるみが潰れてしまい、東が説得しようとするのを南が止めたところで、その場にいた南・美嘉にアイドルの素晴らしさを伝えるシーン。
「素晴らしさを伝える」、聞こえは良いですが、その姿はまるでアイドルの狂信者のようでした。
声も顔も言動も全てが怖かった。
上記でアンバランスだと書きましたが、正直それ以上の強烈さがあります。
まさしく美嘉の言う「怖いよ」以外の何物にも変えられない描かれ方がされていて、原作以上の恐ろしさがありました。
現実にもあるんだろうなという納得感
くるみがアイドルと自分の境界線を保てなくなって潰れてしまうシーン。
彼女の泣き叫ぶ声や顔に終始圧倒されました。
また、複数の女性マネージャーに囲まれる形で部屋に連れていかれる所に寒気を感じたのを覚えています。
現実にも絶対にあるんだろうなという質感と、普段の彼女を見ているからこそのギャップ差がありすぎて心がキュッとしました。
東の苦しみと成長
映画では東が過ちを認め、人間として成長していく過程に重きを置いていると感じました。
というのも、映画はアイドルになってからの挫折や苦しみを描いている部分が原作よりも多いんですよね。
お母さんに「私って嫌なやつじゃない?」という聞くシーンがありました。
いつもの東とは思えないほど弱っていることがあのワンシーンだけで分かりますし、お母さんの答えもすごく大人で東が成長するきっかけを与えていることが分かります。
また、アイドルノートに「出口。私は」と書かれていましたよね。
東は一度、アイドルから普通の生活に戻りますが、それでもアイドル以外の夢を見出せていないという苦しみがノートから直接伝わってくる演出ですし、原作以上に悩み苦しんでいました。
それでも東はアイドルになることを諦めず、挑戦することを選びます。
だからこそ、ダンス練習をしていた丘の上での東と3人の仲直りは、再び友達として時間が動いたと再認識させられるものでした。
アイドル志望ではない3人と一緒にアカペラで歌う。
3人と心地よく歌っていた東が何より印象的で、「以前のようなアイドルを神格化した狂信者はどこにもいないんだな」と思わされたシーンとなり、人間として成長したことが分かる場面でした。
(あと、あれだけ悲惨な目にあったのにも関わらず、感謝を伝えられる3人がすごい)
タイトル「トラぺジウム」の意味
トラぺジウムは、オリオン座にあるオリオン大星雲の中心に位置する散開星団のことで、4つの重星が台形を構成しており、高温の強い紫外線を放って放星雲全体を光らせています。
この言葉と映画がどうつながるのか。
台形は辺の長さや角度が違っている多角形で、「不等辺四辺形」とも呼ばれます。
トラぺジウムで登場した4人の少女は、皆バラバラの人生を歩みました。
皆がアイドルを目指す平行な人生を生きるのではなく、やりたいことをやって生きています。
それぞれが違う生き方で光っており、まるで辺の長さも角度も違う台形の散開星団を表しているよう。
アイドルだった4人はバラバラの人生で光り輝いている。
これが、「トラぺジウム」というタイトルに込められた意味なのかなと考察しました。
まとめ
この記事では「トラぺジウム」の著者・高山一美さんが伝えたいこと。
そして、私なりに感じた伝えたいこと、映画を見た感想を紹介しました。
小説と映画で抱く感想が違った作品となっているので、もし片方しか見ていないという人は、両方見てみてくださいね。
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