こんにちは。
この記事では、映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」(通称、さよ朝)を見た感想やタイトルの意味について考察しています。
人の解釈や考察が知りたいという方は、ぜひ最後まで見ていってくださいね。
あくまで個人の感想ということを前提に楽しんでもらえると嬉しいです。
ネタバレありなので未視聴の方はご注意ください。
「さよならの朝に約束の花をかざろう」感想・考察
ここからは物語を見て感じたテーマ性に触れながら、感想・考察を書いていきます。
わたしはマキアの「愛」というのが1つのテーマになっていると思いました。
愛を知らなかった少女
本作の主人公は、人里離れている里に暮らしているイオルフ民の少女「マキア」。
彼女は、平穏な暮らしをしていながら両親がいないため、どこか孤独を感じていました。
もっと言えば、愛を知らなかった少女です。
私は、この物語は愛を知らなかった少女が、ひとりぼっちの赤ん坊と出会って、1つの愛の形を知るまでの物語なのかなと。
マキアは母親になるために、そして、エリアルと一緒にいるために強くあろうとしていました。
序盤は苦労しながらも周りの人たちの助けもあって、楽しく暮らしていたと思います。
ですが、徐々にマキアはエリアルとの別れが来てしまうことを分かっていってしますよね。
必ず来てしまう大事な人の死に目。
人間誰しもが、一度は意識することだと思います。
親の死に目、自分の死について。
でもマキアは少し違いました。
長命の彼女は、どうしてもエリアルの死に向かい合わなければなりません。
数百年の寿命を持つマキアは、そのことに涙を流していました。
また、2人の間を引き裂く出来事は他にも。
世間の風当たりや国のいざこざに巻き込まれたり、エリアルからの思われ方も変わってしまいます。
彼女に降り注いだ苦難は、エリアルを愛せなくなるには十分すぎる理由です。
それでも、マキアが選んだのは母親として愛することでした。
かけがえのない時間を過ごすことを選択します。
愛を知った少女がした選択
愛を知らない少女は、ひとりぼっちの赤ん坊と出会うことで愛することを知っていきます。
エリアルの旅立ちの後、幽閉されてしまいますが、その辛い日々にあったのはエリアルとの思い出でした。
彼を思い出せば、マキアは自分を見失わずに済む。
自分を織り上げていたのはエリアルなのだと知ります。
そして戦争の夜明け、彼女はエリアルの元から離れることを選択しました。
エリアルの母親になろうとしてもなれなかったという想いや、彼の生きる世界を尊重したいという気持ちがあったのかもしれません。
もしかしたら、あの幽閉されていた期間の中で、一緒にいるだけが愛することじゃないということを学んだのかもしれません。
離れていても愛の在り方、愛し方は存在するのだと知った。
別れを決めた彼女の顔に、エリアルとの行きつく先を悟り泣いていた少女はもうおらず、いたのは母親として生きていく中で愛を知った強い女性でした。
そして、離れてからの数十年の月日が経過してマキアは、エリアルの最期に立ち会います。
物語の終着点とマキアの答え
ただのお別れでは終わらず、マキアがエリアルの死に立ち会って終わります。
この物語の終わらせ方として、「血のつながりはないけど、私たちは暮らしていける」という前向きなメッセージを残すこともできたと思います。
ですが結末は、愛したが故の別れを描いていて、出会いから別れを通した愛に価値を見出していることがとても素敵だと思いました。
最初は孤独で愛を知らなかった少女が赤ん坊のエリアルを拾って母親となって、そこで愛することを知っています。
そして、永遠の別れを経験してもなお、彼女が出した答えというのが「愛することを選んでよかった」です。
「私が生きていれば、エリアルのヒビオルは続いていく」というものでした。
だからこそ、そんな彼女の背中を見て「私もこんな愛を育めるようになりたい、そして、「私を愛してよかった」と時間を共にした人に思ってもらえるように過ごしたい」と考えるようになりました。
マキアとエリアルから、家族を超越した愛という絆を感じさせられた映画でした。
タイトルの意味を考察
ここからはタイトルについて考察します。
タイトル「さよならの朝に約束の花をかざろう」ですが、どんな意味が込められているのでしょうか。
さよならの朝
まず、「さよならの朝」ですが、これはマキアとエリアルの最期のお別れを指しているのだと思います。
つまり、エリアルが亡くなったシーンです。
約束の花をかざろう
あらすじにも触れながらいきます。
この「約束の花」とは、約束そのものを指すのではなくヒビオルを比喩した言葉で、「かざろう」はエリアルにヒビオルをかけてあげた行為を指しているのかなと思いました。
- 約束の花=ヒビオル
- かざろう=ヒビオルをかけてあげた行為
2人の人生にあったのは約束です。
約束がマキアとエリアルの人生を織り上げていました。
エリアルの約束は「母さんを守る」こと。
まだ小さい頃は言葉通りの意味でしたが、年齢を重ねるにつれて、交わした約束は色んな意味を持つようになります。
橋の上のエリアルとラングとの会話は、マキアにお母さん以外の感情を持っていることの独白でした。
その感情はマキアを傷つけてしまう。
だからこそ「母さんを守る」ため、彼女の元から離れることを選びます。
そんな彼の行動に泣きそうになりますが、マキアにも約束がありました。
「もう泣かないもん。私、母さんだもん」
さよならの朝に約束の花をかざろう:マキアより引用
あの場面、必死に涙をこらえているのが分かります。
そして、幽閉されて辛い日々であっても、エリアルとの約束が彼女を支えます。
エリアルは、ずっとマキアの心にいました。
マキアをマキアたらしめる存在。
彼は約束を守っていたのです。
そしてマキアは、エリアルが呼べば、その呼び名が私になると言います。
例えその呼び名が母さんでも、母さんじゃなくとも。
マキアを織り上げていたのは、エリアルなのでした。
しかし、マキアは自らエリアルの元を去ってしまいました。
そして、物語のラスト。
衰弱しているエリアルにヒビオルが優しくかけられます。
そのヒビオルには、マキアとエリアルの約束で紡いでいた日々が織られていました。
タイトルにある「約束の花」とは、2人の約束の日々で織られたヒビオルのこと。
だからこそ、マキアはエリアルとのさよならの朝に、約束で織られた2人の日々が込められているヒビオルをかけたのではないでしょうか。
この流れが「約束の花をかざろう」に込められているのかなと思いました。
エリアルの最期を見送ったマキアが思い出していたのも、彼と過ごした日々でしたよね。
よって、「約束の花」とは、2人の約束で織られた日々を込めたヒビオルで、「かざろう」はヒビオルをかけてあげた行為なのかなという考察でした。
まとめ
本記事では「さよならの朝に約束の花をかざろう」について感想やタイトルの意味について考察しました。
私は本作を、切っても切ることのできない愛を育んだ壮大な物語だと思っています。
皆さんもそんなマキアたちの関係からメッセージを受け取ってみてくださいね。
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